ヤクザ・リセッション-さらに失われる10年

著者は、ベンジャミン・フルフィールドというカナダ人ジャーナリスト。

外国人が書いたヤクザの話」ということに単純に興味を引かれて読んでみました。経済不況とそれを引き起こした元凶は、政・官・業・ヤクザの癒着の構造にある、という主張が書かれていますが、元凶の説明は少し誇張はあるがまぁいいとして、不良債権処理やデフレスパイラルが全てこの構造に起因しているとする主張は、少し短絡的な感じがします。確かに、政・官・業の癒着は認めますし一部には裏社会と通じる筋もあると思います。

搾取する者とされる者がいる構造は昔-維新前-からある訳だし、今更この構造は無くせないでしょう。搾取する方法が欧米よりも巧妙で根深いというだけで、「負のソシアルパワー」という意味では、米国などの人種差別とそうたいして変わらないと思う。

ただ、ハンコ社会が経済に及ぼす負の側面(P50)という箇所にはうなずける。勝手にハンコを押されて知らない間に保証人になっていたり、ハンコは筆記サインよりも捏造しやすいことは、問題として感じていました。欧米並みにサイン方式を取り入れれば良いと思うが、ハンコ方式を全て入れ替えるのは不可能なのかなぁ。

これも含めて、「日本人は何をやるにしても覚悟が足りない(P200)」というくだりは、あるレベルで納得できます。所詮日本はアメリカの属国である(P175)・・・などと卑屈にならないまでも、高い税金なども「覚悟」した上で国全体で悪い部分を絶てれば良いが、どこかで誰かが上手い汁を吸っているかと思うと、しらけてしまう。リーダー不在ということか。

介護をするようになって分かったこと

介護には要介護認定という制度があります。

要介護認定のプロセスはWiKiに詳しいが、市町村の役所から調査員が来て聞き取り調査を行い、主治医などに病状などを確認した上で要介護度を認定します。介護認定レベルには要支援1から要介護5まで7段階あり、要介護5が一番介護度の高いランクです。各レベルは、要はサービス費用に対する補助額の上限で区分されています。

直接金銭が与えられるわけではないです。サービスを利用しなければ何のメリットもないし、例えば要介護度1であれば、毎月約17万円までの補助が受けられるという仕組みです。そして必ず1割は自己負担となっています。

サービスメニューは結構多彩で、大きく、訪問と通所の2種類に分類され、目的によって細分化されています。介護施設といっても様々なので、事前に下見などすることが重要です。サービスは申し込めば自由に受けられるというわけではなく、必ずケアマネージャーと相談し、助言を受けながら利用するサービスを決めます。但し介護施設の場合は体験通所ということは可能です。下見の一環で体験通所してみて、候補を絞り込むという具合です。

このケアマネージャー制度も結構複雑で、地域のケアマネージャーを統括する人がいて、まずその人と相談して、担当するケアマネージャーを決定します。ケアマネージャーにも得意不得意があるようです。最近、厚労省の介護保険を抑制する政策もあって、調査員は介護認定度を辛目に認定する傾向もあるようです。今まで要介護1だった人が非対象者にランクを下げられることもあるようです。

認定には期間が定められていて、半年後とか一年後とかに必ず再調査がありますから、一度要介護1に認定されたからといってずっとそのままかというとそうではないのです。おまけに、〔今までと同じ要介護を望むか。低めに認定されたいか。高めに認定されたいか〕というような変なアンケートがあります。

実は、介護サービスは認定度が高いほど介護料も高いので注意が必要です。同じサービスでも、介護度の高い人は低い人より高い料金になるのです。弱い人が高い料金を払うというのは何か辺です・・・。もし非対称者になってしまったら、いままで受けていたサービスは、全て自費ということになってしまいます。

これって厳しいですね(涙)

認知的ウォークスルー|イタレーション

ウォークスルー、評価会、開発メンバーへのフィードバックのイタレーションを一週間単位で繰り返します。

ウォークスルー自体は2時間もあれば終わりますから、評価会を早めに行い、何をフィードバックするかを入念に議論します。ここで大切なのは、単に問題点をジャッジするだけでなく、何故問題となるかその原因を掘り下げていき、同時に改善策もきちんとリコメントすることです。リコメンドが無いと開発メンバーはどうしたらいいか困ってしまったり、見当違いな対策を行い二次障害が発生したりします。

この辺のフィードバックの要領は、他のユーザビリティ評価と同じです。仕様を作りながら同時進行的に評価しているので、開発メンバーも神経質になる局面があります。それだけに、どうしたら良いかについては、評価会でじっくり議論した方が良いです。3時間程度はみてください。

ウォークスルーの効果は直ぐ現れてきます。最初のフィードバックで指摘したものが、仕様書に即反映され2回目のウォークスルーで確認できます。開発メンバーも100%確信があって仕様をまとめている訳ではないので、客観的な指摘はあいがたい面があります。(もともとモチベーションの低い組織ではそうはいかない場合もあります)ウォークスルーを行う側も、即改善が実感でき、とてもやりがいがあります。まさにWIN-WINの関係です。

成功の秘訣は、やはりシステムの目標をきちんと押さえることと、ユースケースシナリオを作成することです。システムの目標は、その目標を達成する施策と施策を実現する機能も含めた体系化を行ってください。イッシューチャートのような感じです。システム目標は事前に開発メンバーと共有しておいた方が良いです。ユースケースシナリオはUML(Unified Modeling Language)に順序している方が、納得度が高まります。

もう一つの秘訣は、デザイナーやエンジニアも含めたUCDチームの中でウォークスルーを行うことです。

 

「骨」展

六本木の“21_21 Design Sight”で行われていた「骨」展。
ネーミングから受ける印象とは異なり、色々な思考のコアになる部分について、掘り下げている作品ばかりで興味深かったです。中でもLeading Edge Deignのテーブル、takram design engneeringの昆虫風可動ロボットなどが大変ユニークでした。ややもすると冷たい印象となるロボットに「生」を与えるような、そんな斬新さを感じました。その他、映像作品や部品展示など、広範囲に渡り、骨のある作品が多数あり、かなり感性を刺激されました。

ハイコンセプト - 「新しいこと」を考え出す人の時代

「ハイコンセプト」を読みました。著者はダニエル・ピンクです。
これは第四の波のことが書かれている本です(と訳者の大前研一氏も言っています)。そして脳の使い方、特に右脳を生かす工夫が大事だと一貫して述べられています。トフラーの第三の波を読んでからもう25年位になりますが、すでに第三の波はクリアーし第四の波を迎えつつあるということか。なるほど、農業社会、産業社会、情報化社会と来たので次はどんな社会かと考えていたら、コンセプトの時代か。。。デザインでよく〔モノからコトへ〕という言葉があって、その次は「ココロ」だ、とデザイナー達は考えていました。心を重視する姿勢と右脳を重視する姿勢は合致すると考えられます。心の重視とは、〔理屈よりも感情を〕ということですから、それは〔左脳よりも右脳を〕と言っているに等しいと思います。したがって、デザイナーの視点から見れば、この本は至極当り前のことを回りくどく言っているということになります。
この本では、「ハイコンセプト」と同時に「ハイタッチ」が大事だと言っていますが、大前氏は、『最初にハイタッチという言葉をに使ったのは「メガトレンド」を書いたジョン・ネイスビッツだ』と言っています。しかしこれは間違いです。かなり前、日産がBe-1を創っていた頃に日本のデザイナー達は「ハイタッチデザイン」というコンセプトを提唱しています。その表現手段や様式は変わりつつも、ハイタッチは今も重要な視点であり、多くのデザインで実践されています。だからダニエル氏の言う、デザイナー的な思考(右脳を効果的に働かせる思考)が大事だ、というのはその通りだと思います。ところがこの本では、ハイコンセプトを導き出すために養う思考方法とか素養を磨くことについては色々述べられていますが、〔心に響くもの〕をどうやって生み出すかについてはあまり書かれていません。人が磨かれれば、自然とそういうものが生み出されていくとか、結果よりもプロセスが大事だと言いたいのでしょうか。。。〔心に響くものを生み出す〕とはまさに感性を刺激することなので、僕としてはその直接的な方法論などを期待していたのですが、この点は物足りません。その中で常日頃の努力が大事である、という主張には共感できました。感動したり気になったことを書き留めたり写真に取っておく。生きがいとか感謝する対象を思い浮かべ、自問自答し、その中ならヒントを得て、それを創作に生かす、などなど、努力という経験がクリエーターの感性に厚みを持たせるのかもしれませんね。

手首用のエリザベス

介護用品の中にも拘束具にあたるものがある。

暴れる人を縛るとか、体をベッドにくくり付けるなどは知っていたが、こんなもの(図)があるのは、最近はじめて知った。看護士の間では「エリザベス」と呼んでいるようだが、要は「エリザベスカール」の手首版である。エリザベスカールは犬が体を舐めたりするのを防ぐことを目的にしているようだが、この手首用エリザベスは、被介護者の手首にする。手首用なので「カール」が付かないのだろう。
痴呆が進んだ被介護者が、点滴注射用の「置針」(腕に刺しっぱなしにしておく注射針のこと)を自分で抜いてしまったり、包帯を外してしまったりしないようにするのが目的である。理屈では分かっても、見た目はなんともイヤな感じがする。人を人扱いしていないような感じがするのだ。理性的な判断ができない痴呆患者に、限られた人数の看護士で対応するのは想像以上に大変で、やむを得ないのかもしれないが、はいそうですか、とは簡単には言えないような思いがするのだ。
こうゆう器具は日常使われている、いや使わざるを得ない現実は、やはり問題だと言わざるを得ない。

認知的ウォークスルー|関係者と結果を共有する

最初のウォークスルーの結果を製作メンバーと共有することに関してです。

まだ6割程度の記述量しかない仕様書を元にしたウォークスルーであることを事前に説明し、まず設定したシステム目標とシナリオ、および仮定ペルソナの説明を行います。これを踏まえてシナリオのステップ毎に判定した評価結果を説明します。シナリオを基にしているので、とても納得性が高くなります。評価への疑問も生じず、改善策なども議論しながら結果のフィードバックが行えます。納得性が高いということがとても重要で、この辺がヒューリスティック評価などよりも合理的な面であると思います。
一つのステップに複数の指摘事項があったにもかかわらず判定を一つでくくってしまうような場合、製作メンバーからは、複数の指摘毎に個別の判定か、くくった判定への影響度のようなものをそれぞれの項目毎に求められることがあります。仕様を変更する当事者としては、合理的で妥当な変更を行うためにも、より細かい評価結果が欲しいところです。この点は、ウォークスルーの結果の書き表し方で留意する必要があります。
中には、「用語が分かりにくい」などの典型的な問題も多々あります。用語は仕様検討の過程でそれなりに苦労して決めてきているだけに変更への抵抗感があります。この段階では新しい用語を考え出すことに執着せず、システム上用語の差し替えが可能なような仕様にしておくなど、合理的な結論を導き出すことが重要です。
第一回目のウォークスルー結果のフィードバックですが、平行して仕様検討も進んでいる中でのフィードバックになり、この情報も反映しながら仕様へフィードバックします。その上で翌週などに第二回目のウォークスルーと評価会を行い、再度フィードバックするなど、短期間にイタレーションを行いながら仕様の詰めを行っていきます。

 

ネオリアル東京展で感性体験を

今年イタリアのミラノサローネにキヤノンが出展した映像作品の展示会が、以下の通り開催されます。
無料の一般公開です。お時間があればご是非ご覧になってください。かなり大きい有機的な形態の建造物ですが、その表面に投影映像があり、触れると反応するなどインタラクティブなもので、きっと感性が刺激されると思います。
もう一つ、シンプルな線形の投影映像ですが、見ている人の動作を検地して変化します。この作品には僕も間接的にかかわりました。展示の概要は以下の通りです。

・テーマ 『NEOREAL -パワープロジェクターが創造する新たな映像表現の世界-』
・開催期間 2009年8月27日(木) ~ 29日(土) 11:00~20:00(入場は19:30まで)
・会場  東京ミッドタウン ホールB(ミッドタウンイーストB1F)
※地下鉄から直接アプローチできます
・入場料 無料
・公開情報については以下の通り
キヤノンの公開ページ
designboomの紹介ページ
よろしくお願い申し上げます。

近代的な病院の看護端末

介護でほぼ毎日病院に通っている。
有名人も利用する日本でも有名なT病院の分院だが、分院なので本院より新しく、設備も近代的である。勿論バリアフリーもしっかりしており、ゆったり造られている。だが、看護士が使用する看護管理用の端末を見て、考えてしまった(写真)。要は医療用のワゴンの上に無線仕様のノートPCが乗っているだけで、その周りには、看護器具や介護用品がただ雑然と乗っている。一応医療用ITシステムは稼動しているようで、カルテの照会や介護管理は全てオンラインでできるようだが、かといって良く見る画板と手書きの用紙はあいかわらず使用している。なぜ統合しないか、理由は定かではないが、とにかく、ITの統合化はまだ途上のようだ。
そんなことを考えていたら、「病院たしくない病院」というコピーが目に入った。千里リハビリテーション病院というところだが、内装は木目を多用し、落ち着いた雰囲気で什器も気の利いたものを使用しており、確かに病院らしくない。まるで広々したリビングルームのようだ。こんなところで療養したら、回復も早いのではないか。こんなところでは看護端末はどうなっているのだろうかと、とても気になった。

創発の三段階

創発をマーケティングの視点で考えてみた。

商品の生産と購入に対して創発を考える時、三つの段階があるのではないか。

第一段階は、商品の購入である。
第二段階は、購入した商品を使い続けることである。
第三段階は、その商品に愛着を感じる時である。

店頭で商品の購入を考える時、複数の商品を比較し自分にふさわしいものを選択しようとする。どれが一番魅力的か、性能が優れているか、使いやすいか、メンテナンスに煩わされないか、等々購買を決定する購入要因はいろいろとあるが、それでも、お財布の中身や使用している自分を想像しつつ、多数の中から一つを選択する。この場合、買い手から見れば購入することであり手に入れることだが、経済の視点でみれば、〔購入するという経済行動により商品という財が生産者の手から消費者の手に移行する〕ことである(ボードリヤールより引用)。

これは商品の性能なりたたずまいなり、目に見えないメーカーの生産努力が消費者の創発という形で成就したことを意味するのではないか。「良い商品」という感覚的に肯定していたレベルから、「購入できる商品」という、もう一段高いレベルに昇華したことを意味する。これが購入者の創発である。これを創発の第一段階としよう。では創発の第ニ段階とは何か。商品を購入して使用し始め、何のトラブルもなくまた不満もなく、継続的に使用していく。

このように、購入が正当なことであったことを自覚し、選択の正しさに満足し、継続的に使用を維持していくことをいとわず、それが妥当なことであると認めること。これが第二段階である。そして次に第三段階であるが、これはモノへの陶酔とか愛着というレベルの段階であろう。こうなるともう手放せなくなり、大事に使用しつづけ、モノを自分の分身として愛するようになる。

創発の第三段階に到れば、商品が単にモノとして存在するのではなく、自分の一部として存在し始めるのだ。創発があればモノ(商品という財)が移行しやすくなり、また逆に言えば、創発がなければ今のような豊か過ぎる時代にモノの移行は起こりえない。商品が売れるということは、購入のための選択行動が励起された結果、購入という創発が行われらことを意味する。

購入という創発を生むためにも、感性にひびく(刺さると言ってもいい)モノを創る必要があるのだろう。